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大阪地方裁判所 昭和49年(ワ)3624号 判決

昭和四九年(ワ)第三六二四号事件原告

鄭奉澤

ほか一名

昭和五一年(ワ)第三〇〇八号事件原告

鄭良心

昭和四九年(ワ)第三六二四号・

帝産京都自動車株式会社

昭和五一年(ワ)第三〇〇八号事件被告

ほか三名

主文

原告らの被告らに対する請求をすべて棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

被告らは、各自、原告鄭奉澤(以下「原告奉澤」という。)に対し、金一六六四万円及びうち金一四九二万円に対する昭和四八年七月一〇日以降、うち金一七二万円に対する昭和四九年五月二一日以降各完済に至るまで年五分の割合による金員を、原告呉貞愛(以下「原告貞愛」という。)に対し、金八三二万円及びうち金七四六万円に対する昭和四八年七月一〇日以降、うち金八六万円に対する昭和四九年五月二一日以降各完済に至るまで年五分の割合による金員を、原告鄭良心(以下「原告良心」という。)に対し、金四一六万円及びうち金三七三万円に対する昭和四八年七月一〇日以降、うち金四三万円に対する昭和四九年五月二一日以降各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告らの負担とする。

仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

第二請求原因

一  事故の発生

1  日時 昭和四二年一月一三日午前零時一五分頃

2  場所 京都市下京区壬生川通丹波口交差点(以下「本件交差点」という。)

3  加害車(一) 被告小倉健市(以下「被告小倉」という。)運転の普通乗用自動車(タクシー)(京五い九二四三号)(以下「甲車」という。)

(二) 被告今村芳優(以下「被告今村」という。)運転の普通乗用自動車(大五ふ八七三七号)(以下「乙車」という。)

4  被害者 訴外亡鈴木万(満)蔵こと鄭高天(以下「高天」という。)(甲車の乗客であつた。)

5  態様 北から南へ進行してきた甲車と西から東へ進行してきた乙車が本件交差点内で衝突した。

二  責任原因

1  運行供用者責任(自賠法三条)

被告帝産京都自動車株式会社(以下「被告会社」という。)は、甲車を保有して業務用に使用し、自己のために運行の用に供していた。

2  一般不法行為責任(民法七〇九条)

被告小倉は、本件交差点の手前で一時停止をし、あるいは徐行するなどして前方左右を注視し、交差道路から交差点内に進入してくる車両のないことを確認したうえで自車を進行させるべきであつたのに、右の確認をしないまま漫然と交差点内に進入した過失により、また、被告今村は、無灯火で、かつ、酒気を帯びた状態で自車を運転し、前方左右に対する注視が十分でないまま本件交差点内に進入した過失により、本件事故を発生させた。

三  損害

1  受傷、死亡

高天は、本件事故により前額部裂創、頭部外傷Ⅰ型、頸部捻挫、右手関節・左膝関節・左足背打撲の傷害を受けたが、右頭部外傷が原因となつて脳内に生じた動脈瘤がその後悪化して破裂し、脳出血を起こした結果、昭和四八年七月九日死亡したものである。

2  死亡による逸失利益 二一一三万円

高天は、死亡前故鉄商を営み、少なくとも月五〇万円の収入を得ていたものであり、事故がなければ死亡時(六二歳)から六・九年間稼働し、その間右と同程度の収入を得ることができるはずであつたところ、生活費は収入の四〇パーセントと考えられるから、これを差し引いたうえ、同人の死亡による逸失利益を年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、少なくとも二一一三万円になる。

3  慰藉料 五〇〇万円

高天は、本件事故の結果死亡したことにより、筆舌に尽くし難い苦痛を受けたものであり、同人の慰藉料額は、少なくとも五〇〇万円を下らない。

4  権利の承継

原告貞愛は高天の妻、原告奉澤、同良心は高天と原告貞愛との間の子(奉澤は長男、良心は長女であるが、良心は、高天の死亡当時、既に婚姻しており、高天と同一戸籍内になかつた。)であるところ、高天の死亡により、同人に帰属した右2及び3の損害賠償債権を法定相続分(原告奉澤は七分の四、原告貞愛は七分の二、原告良心は七分の一)に従い、相続により取得した。

5  弁護士費用

原告らは、本訴請求のため、昭和四九年五月二〇日訴訟代理人との間に委任契約を締結し、着手金、費用を支払い、かつ、報酬の支払を約し、これにより原告奉澤は一七二万円、原告貞愛は八六万円、原告良心は四三万円の弁護士費用相当の損害を被つた。

四  本訴請求

よつて、請求の趣旨記載のとおりの判決(遅延損害金は、高天死亡の日の翌日以降(ただし、弁護士費用相当の損害に対する遅延損害金については、高天死亡の日の後である昭和四九年五月二一日以降)民法所定年五分の割合による。)を求める。

第三請求原因に対する被告らの答弁

一  被告会社、被告小倉

1  請求原因一は認める。

2  同二のうち1は認めるが、2の被告小倉に過失があつたとの点は争う。本件事故は、被告今村の一方的過失によつて発生したものであり、被告小倉には何ら過失がなかつた。

3  同三の1のうち、高天が本件事故により原告ら主張の傷害を受けたこと及び同人が昭和四八年七月九日死亡したことは認めるが、その余の事実は争う。高天の死亡と本件事故との間には因果関係がない。その理由は、後記二の3において被告今村が主張するとおりである。なお、仮に本件事故による受傷が高天の死亡に影響を及ぼしているとしても、同人の死は、客観的・一般常識的に見て、右受傷により通常生ずべき結果とはいい難いから、少なくとも、同人の死亡と本件事故との間には相当因果関係がないものというべきである。

4  同三の2のうち、高天が死亡前故鉄商を営んでいたことは認めるが、その余の事実は争う。

5  同三の3は争う。4、5は不知。

二  被告今村

1  請求原因一は認める。

2  同二の2の被告今村に過失があつたとの点は争う。

3  同三の1のうち、高天が本件事故により受傷した事実及び同人が原告ら主張の日に死亡したことは不知。その余の事実は争う。高天死亡の直接の原因となつた脳出血は、持病の高血圧症及び動脈硬化症が基礎となつて起こつたものであり、原告ら主張のように、本件事故による受傷の結果脳内に動脈瘤が生じそれが破裂して起こつたものではないから、同人の死亡と本件事故との間には因果関係がない。

4  同三の2、3、5は争う。4は不知。

第四被告らの主張

一  免責(被告会社)

前記のとおり、本件事故は、被告今村の一方的過失によつて発生したものであり、被告小倉及び被告会社には何ら過失がなく、かつ、甲車には構造上の欠陥又は機能の障害がなかつたから、被告会社、本件事故につき損害賠償責任を負わない。

二  示談ないし債務免除

1  被告会社、被告小倉

(一) 被告会社及び被告小倉は、昭和四三年九月一九日高天との間で、本件事故につき次のとおり示談契約を締結した。

(1) 高天の負傷に関する四条大宮病院、名古屋岡山病院、中日病院、名古屋第一赤十字病院、中京病院、大阪医大附属高槻分院における入院・通院治療費及び中整体療院、森本鍼療院、酵素の家等の物療費は、被告会社がこれを支払う。

(2) 前項のほか、被告会社は、高天に対して、慰藉料、休業補償費、通院交通費及びその他の補償費を含む本件一切の示談解決金として金四一七万八一二〇円を示談成立と同時に支払う。

(3) 高天は、今後いかなる事情が生じても、被告会社、被告小倉等本件事故関係者すべてに対し、本件示談条項によるのほか、告訴、告発、異議の申立その他何らの請求をなさない旨確約する。

(二) 被告会社は、昭和四三年九月一九日右示談契約成立と同時に、右示談条項(2)にもとづき、高天に対し、示談解決金として四一七万八一二〇円を支払つた。

(三) 従つて、仮に原告ら主張の、高天に対する被告会社及び被告小倉の損害賠償債務(逸失利益、慰藉料)が存したとしても、同債務は、右示談契約成立及びこれにもとづく解決金の支払により、既に消滅しているものである。

2  被告今村

(一) 被告会社及び被告小倉は、前記1(一)のとおり、昭和四三年九月一九日高天との間で、本件事故につき示談契約を締結した。

(二) 右示談契約の条項(3)(前記1(一)中の(3)参照)によれば、高天は、右示談契約において、同時に本件事故による被告今村の高天に対する損害賠償債務についてもこれを免除する旨約したものというべく、仮に被告今村に右損害賠償債務が存したとしても、同債務は、右債務免除契約により既に消滅しているものである。

三  時効(被告ら全員)

仮に以上の主張が認められないとしても、原告ら主張の損害賠償請求権は、本件事故発生日より三年を経過した昭和四五年一月一三日、時効により消滅したものであるところ、被告らは、いずれも本件口頭弁論期日において(被告今村は昭和四九年一〇月二二日、被告会社及び被告小倉は昭和五一年一一月一一日)、右消滅時効を援用した。

第五被告らの主張に対する原告らの答弁

一  主張一は争う。

二  同二のうち、1(一)及び2(一)の 高天が昭和四三年九月一九日被告会社及び被告小倉との間に、本件事故につき示談契約を締結したことは認めるが、高天の被告らに対する損害賠償請求権が右示談契約の成立等により消滅したとの被告らの主張は争う。右示談契約締結当時は、高天が将来本件事故による受傷が原因で死亡するであろうとは予測しえない状況にあり 高天及び被告会社、被告小倉もまた、高天が本件事故による受傷が原因で死亡すべき事態を予測することなく右示談契約を締結したものであるから、仮に、右示談契約において高天が、将来いかなる事情が生じても被告らに対し損害補償を請求しない旨約したとしても、高天の死亡により生じた損害賠償請求権には、右示談契約における請求権放棄の効力は及ばず、従つて、原告らが本訴において被告らに対し請求する損害賠償債権は、右示談契約の成立によつては消滅していないものというべきである。

三  同三も争う。高天の死亡により生じた損害賠償請求権の消滅時効は、同人が死亡したことを原告らが知りえた昭和四八年七月九日からその進行を開始するものと解すべく、そうすると、右損害賠償請求権の消滅時効が本訴提起(三六二四号事件は昭和四九年七月二八日、三〇〇八号事件は昭和五一年六月一七日)により中断されたものであることは明らかである。

第六証拠関係〔略〕

理由

一  事故の発生

請求原因一の事実は、当事者間に争いがない。

二  責任原因

1  運行供用者責任

請求原因二の1の事実は、原告らと被告会社との間において争いがなく、また、後記のとおり被告小倉に過失のあることが認められるから、被告会社の免責の抗弁は、その余の点について判断するまでもなく理由がなく、従つて、被告会社は、自賠法三条により、本件事故により高天及び原告らに生じた損害があれば、これを賠償すべき責任がある。

2  一般不法行為責任

成立に争いのない甲第五号証、被告今村(二回)、同小倉各本人尋問の結果の各一部、弁論の全趣旨及び経験則によれば、次の事実が認められる。

(一)  本件交差点は、東西に通ずる、幅員五~六メートルの丹波口通り(以下「東西道路」という。)と、南北に通ずる、幅員が東西道路よりやや広い程度の壬生川通り(以下「南北道路」という。)とがほぼ直角に交差する交差点で、事故当時は交通整理が行われていなかつた(その後信号機が設置された。)こと、同交差点の北西角には、道路際まで建物が建つているため、東西道路交差点西側と南北道路交差点北側との相互の見通しはよくない状態にあり、事故当時同交差点を通過する東西道路東進車両に対しては、一時停止の標準及び停止線が設けられていた(もつとも、当時右一時停止標識は、付近にある店舗の陰になり見にくい状態にあつた。)こと、本件交差点付近は、街灯等の照明設備がなく、深夜にはほぼ真暗な状態になること。

(二)  被告小倉は、本件交差点より七〇~八〇メートル北方の地点で高天ほか一名の乗客を甲車に乗車させた後発進し、前照灯を照射して普通に加速しながら南北道路を南進し、少なくとも時速三〇キロメートル程度以上の速度で本件交差点にさしかかり、同交差点を直進通過すべく、減速措置を講ずることなくそのまま同交差点内に進入したところ、右交差点進入直後頃に、折から東西道路を東進し同交差点内に進入してきた乙車を発見したが、有効な衝突回避措置を講ずる間もなく、同交差点中央付近で自車右前ドア付近を乙車左前照灯付近に衝突させるに至つた(甲車は、右衝突後左前方に五~六メートル暴走し、交差点南東角より二メートル程南方、道路東側に設置されていた電柱の支持ワイヤ及び同所付近の住宅のへいに衝突して停止した。)こと。

(三)  被告今村は、酒気を帯びて乙車を運転して東西道路を東進し、前照灯を照射し、少なくとも時速三〇キロメートル程度以上の速度で本件交差点にさしかかり、同交差点を直進通過すべく、減速措置を講ずることなくそのまま同交差点内に進入したところ、右交差点進入直後頃に、前記のとおり折から同交差点内に進入してきた甲車を発見したが、有効な衝突回避措置を講ずる間もなく、前記のとおり自車を甲車と衝突させるに至つた(乙車は、ほぼ右衝突地点に停止した。)こと。

以上の事実が認められ、被告今村(二回)、同小倉各本人尋問の結果中右認定に沿わない部分は、前掲各証拠に照らし採用し難く、他に右認定に反する証拠はない。

右認定事実によれば、被告小倉、同今村は、共に、本件交差点にさしかかつた際、右方(被告小倉)ないし左方(被告今村)道路に対する見通しがよくなかつたのであるから、少なくとも自車を徐行程度まで減速させて交差道路を見通し、交通の安全を確認したうえで交差点の通過を図るべき注意義務があつたにもかかわらず、いずれも、少なくとも時速三〇キロメートル程度以上の速度で、交差道路を見通すことなく漫然と交差点内に進入した過失があるものというべきところ、右認定の交差点付近の道路状況並びに甲乙両車両の進行状況及び衝突状況からすると、経験則上、被告小倉、同今村のいずれか一方が右の注意義務を尽くしていれば、右注意義務を尽した方の運転者は、相手車両の前照灯の照射などから、少なくとも自車が交差点内に進入した直後頃には交差道路から相手車両が進入してくるのを察知することができ、右運転者によつて直ちに急制動等の措置が講じられるところとなり、その結果、甲乙両車両の衝突等の事故は未然に回避されていた蓋然性が高いものと解すべく、従つて、右被告小倉同今村の各過失と本件事故との間には、いずれも相当因果関係が存するものというべきである。

よつて、被告小倉、同今村は、いずれも民法七〇九条により、本件事故により高天及び原告らに生じた損害があれば、これを賠償すべき責任がある。

三  高天の死亡と本件事故との間の因果関係の存否

前掲甲第五号証、証人祖式義介の証言により成立を認めうる乙第一、第一八号証、弁論の全趣旨により原本の存在とその成立を認めうる乙第二号証、右乙第一、第一八号証、弁論の全趣旨により、原本の存在とその成立を認めうる乙第三ないし第一二号証、成立を認めうる乙第一七号証、証人中川実の証言、弁論の全趣旨により、原本の存在とその成立を認めうる乙第一四、第一五号証、成立を認めうる丙第一号証の一、二(ただし、右のうち、原告らと被告会社、被告小倉との間においては、乙第一号証は成立に争いがなく、乙第二、第四ないし第一二号証は原本の存在とその成立に争いがなく、また、原告らと被告今村との間においては、丙第一号証の一、二は成立に争いがない。)、証人市村龍文、同祖式義介、同鈴木良子(一回の一部)、同中川実の各証言を総合すると、次の事実が認められる。

1  高天(明治四三年九月一七日生)は、前記のとおり被告小倉運転の甲車に乗客として乗車中本件事故に遭い、その際の衝撃により前額部裂創、頭部外傷Ⅰ型、頸椎捻挫、右手関節・左膝関節・左足背打撲、歯牙欠損(二歯)の傷害を受け(高天が本件事故により右の傷害(ただし歯牙欠損を除く)を受けたことは、原告らと被告会社、被告小倉との間において争いがない。)、その後、後頸部の疼痛、頭重感、右の顔面・側頭部・前額部痛、めまい、嗅覚脱失、神経性難聴、右上肢しびれ感等の症状が残存したが、事故当日から昭和四三年九月一〇日までの間に、京都四条大宮病院、名古屋岡山病院、社会保険中京病院(以上入院及び通院。なお、入院期間はのべ九三日間である。)、中日病院、名古屋第一赤十字病院、大阪医科大学付属病院高槻分院、小林歯科医院、中整体療院、森本鍼療院、酵素の家(以上通院のみ)において治療を受けた結果、右各症状がいずれもほぼ軽快するに至つたため、昭和四三年九月一九日被告会社及び被告小倉との間に、右傷害による損害(右各病院の治療費、慰藉料、休業補償費、通院交通費等)につき示談契約を締結した(その内容は、被告らの主張二1(一)記載のとおりである。なお、右の時期に高天と被告会社、被告小倉との間で示談契約が締結されたこと自体は、当事者間に争いがない。)こと、高天は、右示談契約締結後も時々頭痛、めまい、肩こり等の症状に見舞われ、その都度市村医院(訴外医師市村龍文(以下「市村医師」という。)の個人病院)などで受診していたが、右の症状は、三~四日対症療法的な治療を受けると軽快し、仕事を行うのにさしつかえない状態に戻る程度のものであつたこと

2  高天は、昭和四八年六月二一日昼頃、当時居住していた名古屋市中村区大正町四丁目四三号の自宅から友人に会うため外出した際、全く見当違いの方角に赴き半田市内に至り、夕刻頃同市の路上に倒れていたところを通行人に発見されて直ちに救急車で市立半田病院に担送され、その後同年七月九日死亡するまでの間、同病院に入院し治療を受けたものであること、右入院期間中の高天の症状の推移は、大要以下のとおりであつたこと、即ち、右半田病院担送時には、意識が混濁し、左半身が麻痺し、頭痛・悪心を訴えていたほか、血圧の上昇(最大一七八ミリメートル水銀(以下単位は略す。)・最小一〇三)、左上下肢における腱反射亢進及び病的反射の存在、眼球の右上方への偏位等の異常所見があつたが、翌六月二二日からは徐々に意識が回復してゆき、その過程で精神運動性の興奮状態が続いたものの、同月三〇日頃には、それも治まり、意識がほぼ清明といえる状態になり、食欲も同月二五日頃から出始め、全身状態は良好になつていたこと、血圧は、同月二七日までは最大一七〇~二〇〇(殊に二二日と二四日には二五〇を越すこともあつた。)、最小九〇~一一〇程度の状態が続いたが、同月二八日からは最大一四〇~一七〇、最小八〇~一〇〇程度の状態に落ち着いたこと、ところが、七月九日午後六時四〇分頃、突然チアノーゼ、けいれん、呼吸麻痺を起こし、同六時四三分には呼吸が停止し、同六時五五分に死亡したものと確認された(高天が同日死亡したことは、原告らと被告会社、被告小倉との間において争いがない。)こと

3  高天の右半田病院入院中その主治医として診療・治療にあたつた訴外医師中川実(以下「中川医師」という。)は、六月二一日の段階では、高天の病態につき、意識障害及び左半身麻痺の症状より、右大脳半球部に脳梗塞が存する可能性が大きいと考えたが、諸種の検査結果が未だそろつておらず、また、頭痛・悪心等脳圧亢進を推測させる症状が存したことなどから、脳腫(膿)瘍や脳出血等の存在の可能性をも想定し、脳圧降下剤、脳代謝改善剤、抗生物質製剤、血管強化剤、止血剤、ビタミン剤等を添加した輸液の点滴注射を施行したが、その後の検査結果(心電図で左軸偏位・左室肥大、胸部X線で心臓陰影拡大、血清コレステロール値が二六〇mg/dl(ただし六月二二日検査結果)、清澄透明な髄液を採取(同月二九日検査結果)。赤沈値の亢進・白血球数の増加は認められず尿検査でウロビリノーゲン強陽性等。)、症状の推移(発熱、項部硬直、意識障害の亢進がみられない。)、それに高天の体型(肥満体)やしこう(一日二〇本程度喫煙する習慣があつた。)などをも合わせ考慮した結果、同人には高血圧症及び動脈硬化症を基礎とする脳梗塞が存し、その結果前記の各症状があらわれたものと診断し、引き続き血圧降下剤の投与等の治療を行つていたものであること、そして、前記のとおり高天が七月九日急激な発作を起こし死亡したことについて、同医師は、その症状から脳出血による死亡と診断しているところ、同人に右のとおり高血圧症及び動脈硬化症が存していたと解されることなどからして、一般的には交通事故に起因する外傷性の血管変化(脳動脈瘤等)や先天性脳動脈奇型によつても脳出血は起こりうるが、高天の場合には、右の高血圧症・動脈硬化症が基礎となつて脳内に生じた小動脈瘤が破裂し、脳出血を起こした可能性が大きいと考えていること

4  高天は、前記半田病院入院前から、時々のぼせるような症状を呈することがあり、そのため高血圧ではないかと気になつて、前記市村医院その他の病院を受診したことがあり、例えば、昭和四三年五月~八月には、大阪医科大学付属病院高槻分院において、高血圧症ほかの病名で診療を受けていたこと

以上の事実が認められ、証人鈴木良子(一回)の証言中右認定に沿わない部分は、前掲各証拠に照らし採用し難く、また、中川医師の作成したものであることにつき当事者間に争いのない甲第一号証中には、一見、右の3認定の事実と矛盾するように受け取れる診断記録が存するが、同医師は、右甲第一号証診断書を作成するに至つた経緯について、右診断書作成日付(昭和四九年五月二五日)の日に原告奉澤が半田病院にいた同医師のところを訪れ、「父高天は、昭和四一年一月一三日発生した交通事故(後記のとおり本件事故のことを指したものである。)の際頭をうつて頭部外傷を受けているが、高天がいつもかかつていたホームドクターは、高天の死亡の原因である脳出血と右交通事故による頭部外傷との間には関連があると診断しており、診断書ももらつている。私は外国人なので、高天の遺産を相続するのに不利であるが、右のような診断書があると助けになるので、先生にも一枚同様の診断書を書いてほしい。」と要求され、一旦は、そういう診断書は書きたくないと断つたが、更に同原告から、「明日朝鮮に帰つてしまうから今日中にぜひ書いてくれ。」と強く要請されたので、医学的知識からすると、交通事故の際の頭部外傷により、脳出血を起こすような脳内の血管変化が生ずることも時々あるのは事実であり、従つて、原告奉澤の指摘する交通事故による高天の受傷と同人の死亡との間に関連がないとはいい切れないという趣旨で甲第一号証診断書を作成した旨証言している(同医師作成の前掲丙第一号証の二中にも、同様の記載がある。)ところ、証人市村龍文の証言、原告奉澤本人尋問の結果の一部によれば、原告奉澤は、本件高天の死亡による損害の賠償問題につき交渉するため被告会社に赴いたところ、被告会社から、任意支払の要求には応じられない旨の回答を得たので、高天の死亡が本件事故による受傷に起因するものであるとの点について、訴訟の際の立証に役立つ資料を得べく、昭和四九年五月二四日、まず市村医師のところへ赴いて診断書の作成を依頼し、本件事故による高天の受傷は、同人の死亡の一つの内因となつている旨の同日付証明書(甲第二号証)を作成してもらい、次いで、翌二五日中川医師を訪れ、持参した右市村医師作成の証明書等を呈示しながら中川医師に、高天の死亡と同人の本件事故による受傷との間の関連性についての診断書を作成してくれるよう依頼したものであること、仮に前記の中川実の証言部分が正しいとすれば、原告奉澤が中川医師に診断書を必要とする理由として語つたところは、同原告の真意に沿わず(真実は、右のとおり訴訟の際の立証に役立つ資料を得るのが目的であつたと解される。)、かつ、それ自体実際には理由となりえない不可解なものであるというべきところ、同原告は、右のとおり市村医師に診断書の作成を依頼した際にも 同様に、「父の遺産を本国(大韓民国)に移したり、同国で死亡による財産の譲渡を行つたりする手続のために、高天がどのような原因で死亡したのかについての証明が必要である。」旨真意に沿わず、かつ、それ自体理由となりえない不可解な説明を行つていることが認められ(原告奉澤本人尋問の結果中右認定に沿わない部分は、証人市村龍文の証言、同原告本人尋問の結果中その余の供述部分等に照らし採用し難い。)、右認定事実に、前掲乙第一五号証、証人中川実の前記証言部分を除くその余の供述部分によれば、中川医師は、本件事故による高天の受傷の程度・態様、右事故後の同人の治療経過、症状の推移等の詳細な知識を持たずに甲第一号証診断書を作成したものと認められることや、同医師は、原告奉澤より呈示を受けた甲第二号証の市村医師作成の証明書の存在及び記載内容をも当然考慮に入れて甲第一号証診断書を作成したものと推認されることなどの事情をも合わせ考慮すると、証人中川実の前記甲第一号証診断書作成の経緯についての証言部分は、おおむね信用することができ(原告奉澤本人尋問の結果中右証言部分に反する供述部分は、右の諸事情等に照らし採用し難い。なお、同原告本人尋問の結果、弁論の全趣旨によれば、同原告が中川医師に、高天が受傷した事故として指摘した「昭和四一年一月一三日の交通事故」が本件事故のことであるのは明らかである。)、従つて、甲第一号証は、前記3における、中川医師が高天の死亡と本件事故による同人の受傷との間の関連性につきいかなる考えを有しているかについての事実認定の妨げとなるものではないというべきであり、以上のほか、前記1ないし4の認定を左右するに足りる証拠は存しない。

右1ないし4認定の事実(高天の年齢、本件事故による受傷の程度・態様、治療経過、その後の症状の推移、平素の健康状況、昭和四八年六月二一日半田市内へ至つた行動経過及び同市内で倒れてから死亡するまでの症状の変化、各種検査結果並びに中川医師の診断等)に、証人中川実、同市村龍文の各証言中、高天の病態に関連する医学的知識(意見)が述べられている部分(ただし、市村龍文の証言については、後記採用しない部分を除く。)及び経験則をも合わせ考慮すると、高天が、本件事故の際の受傷の結果脳動脈血管に変化を生じさせ、その部分から脳出血を起こして死亡するに至つた可能性はきわめて小さく、むしろ、同人は死亡前から罹患していた高血圧症及び動脈硬化症のために、一方において、硬化した脳血管部に血栓ないし塞栓が生じて脳梗塞に陥つた結果、昭和四八年六月二一日半田市内で倒れるという発作を起こし、他方において、弱化した脳血管部に小動脈瘤等の血管変化が生じ、その部分から脳出血を起こした結果、同年七月九日急激な発作に陥り死亡するに至つた可能性が大きいものというべきである。

ところで、甲第二号証、乙第一三号証の三、第一六号証、証人市村龍文の証言中には、高天の死因である脳出血は、本件事故による頭部外傷が一つの内因となつて起こつたものであると判断する旨の証言ないし供述記載部分が存するので、その当否につき考えてみるに、右の判断には、次のような問題の存することが認められる。

1  判断資料に関する問題

証人市村龍文の証言及びこれにより成立を認めうる(原告らと被告会社、被告小倉との間においては成立に争いのない)乙第一三号証の二、三によれば、市村医師は、高天の死亡前相当長期にわたり同人のかかりつけの医師として時々同人の診療にあたり、その際、同人より本件事故による受傷の話も聞いていたことが認められるが、他方、右各証拠によれば、市村医師は、たまに(年二、三回程度)受診にくる高天の訴えに対し、対症療法的な治療を行つていたにとどまり、同人の本件事故による受傷、殊に頭部外傷に対する詳細な診察、検査等を全く行つておらず、また、同人が半田市内で倒れてから後の同人の診療にも全く携わつていないこと、そして、前記、半田病院や高天の本件事故による受傷の診療にあたつた各病院を通じて、同人の症状、治療経過等の詳細についての資料に接する機会も持たなかつたことが認められるのであり、そうすると、実際に市村医師が高天の死亡と同人の本件事故による受傷との間の関連性を判断する際に用いえた具体的資料は、極めて乏しかつたといわなければならず、右の判断が本来、医師の知識、経験のみに頼ることなく、それらを個々人の具体的な受傷状況、身体状況等に関する資料とつき合わせることにより行われるべきものであることを考えると、市村医師が右の点につきなしうべき判断は、もともと著しい制約を受けざるを得ない状況にあつたものというべきである。

2  判断基準に関する問題

市村医師は、証人尋問等(乙第一三号証の三、第一六号証を含む。以下同様である。)において、高天の血圧、コレステロール値等の、高血圧症、動脈硬化症に関する検査結果は、平生はもとより、半田病院入院時においても正常範囲であつたといえるから、同人が高血圧症及び動脈硬化症に罹患していたとは解されないと述べるが、同医師の供述内容と証人中川実の証言内容とを比較してみると、血圧、コレステロール値等高血圧症、動脈硬化症に関する検査結果につき市村医師が考えている正常範囲は、一般に考えられているそれよりいささか広過ぎるきらいがあるものといわざるを得ず、高天の半田病院入院中の血圧、コレステロール値等の検査結果は、前掲乙第一五号証中に(殊に血圧については継続的に)記載されているのに比し、同人の市村医院における診察の際の血圧、コレステロール値等の検査結果を記載した書面は提出されておらず、右検査を行つた時期、回数等についての的確な証拠も一切存しないことをも考慮すると、市村医師の右供述は、前記、高天に高血圧症、動脈硬化症が存したとの判断を覆すに足りるものではないというべきである。また、市村医師は、証人尋問等において、高血圧症患者は、通常脳梗塞を起こさないものであると述べるが、この一般的命題も、証人中川実の証言等に照らし、たやすく採用し難い。

3  判断過程に関する問題

市村医師は、以上のほかに、証人尋問等において、高天が高血圧症、動脈硬化症に罹患していなかつたと考えられる根拠として、(一)半田病院入院期間の後半には、高天の血圧が降下していること、(二)高血圧症、動脈硬化症を基礎とする脳出血患者が、一旦全身状態が回復に向かつた後に急死することは通常ありえないこと、(三)高血圧症、動脈硬化症という診断名は、通常、診断が十分なしえないうちに患者が死亡したときに死因として用いられる常とう句であることなどの点を指摘するが、(一)については、証人中川実の証言によれば、降圧剤の効果及びストレス状態の改善により、入院期間の後半に高天の血圧が降下したと考えられること、(二)については、前記のとおり、高天の半田市内で倒れた際の発作は脳硬塞によるもので、七月九日の発作時に初めて脳出血が生じたと解する場合には、これと前提を異にする指摘となる(もつとも、(二)に関する証人中川実の証言部分に、市村医師が、外傷性の血管変化に起因する脳出血発作と高血圧症等その他の原因による脳出血発作との間にいかなる症状の差異があるのか、右差異があるとすればその理由は何かという点につき、十分な説明を行つていないことをも合わせ考慮すると、(二)の指摘の一般的命題としての妥当性も極めて疑問である。)こと、(三)については、一般論としてその指摘が正当かどうかはともかく、本件の場合、中川医師が高天の症状の推移、各種検査結果から同人の病態についての診断を下しているものであることは、前認定事実より明らかであることなどの事情がそれぞれ存するのであり、これらの事情を考慮すると、右(一)ないし(三)の各指摘は、少なくとも本件においては、いずれも高天が高血圧症、動脈硬化症に罹患していなかつたことの根拠とはなりえないものといわなければならない。

他方、市村医師は、証人尋問等において、本件事故による受傷が高天死亡の一内因であると考える根拠として、高天に本件事故後死亡時まで存した頭痛、めまい等の症状は、脳障害の派生症状と考えられること、外傷による動脈瘤等の形成はさして稀ではなく、また、動脈瘤等は、徐々に形成されることがあるから、受傷後長年月を経た後に発症することもありうることなどを指摘するところ、証人中川実の証言等に照らし、右の指摘は、一般論としては誤りではないということができる。しかしながら、証人市村龍文、同中川実の各証言及び経験則によれば、外傷性の血管変化が存しても、必ずしも頭痛等の脳派生症状が現れるとは限らず、逆に頸椎捻挫の受傷者や高血圧症患者においても、頭痛は起こりうるものであると認められること、また、何といつても、前記のとおり、市村医師の右指摘は、高天の本件事故による頭部外傷の具体的な診療・検査結果にもとづいて述べられたものではなく、外傷と動脈瘤等の形成の部位・プロセスとの具体的な関連についても、同医師は何ら触れていない(なお、市村医師が証人尋問等において述べるところによれば、同医師は、高天が本件事故により脳挫傷の傷害を受けたとの認識を有しているもののようであるが、高天が本件事故により脳挫傷の傷害を被つたと認めるに足りる証拠はなく、前認定のとおり、同人は、本件事故の際頭部外傷Ⅰ型の傷害を被つたに過ぎないと解するほかはない。)ことなどの事情を考慮すると、少なくとも本件においては、市村医師が右に指摘するところから、高天の脳出血は本件事故による受傷を一内因とする可能性が大きいとの判断に達することは不可能といわなければならない。

市村医師の証言等には、以上のような種々の問題が存するから、高天の死亡の原因について前に判示したところと相反する市村医師の証言ないし供述記載部分は、いずれも採用し難いものといわなければならない。

なお、高天の死亡前における高血圧症及び脳動脈硬化症に関する症状の具体的推移についてはこれを認めるに足りる的確な証拠がない(本件事故後徐々に高天の血圧が上つてきた旨の証人鈴木良子の証言(一回)部分はたやすく措信し難い。)ところ、右の点に前認定の高天の年齢、本件事故による受傷の程度、態様、治療経過、平素の健康状況等の事情を合わせ考えると、本件事故による、受傷、精神的衝撃、頭痛等が存在したことにより、同人が右各疾患に罹患し、若しくは、これに罹患することを促進させられ、または、事故前に罹患していた同人の右各疾患が増悪化させられたことなどを軽々に認めることはできない。

以上検討したところによれば、高天の本件事故による受傷と同人の死亡との間に因果関係が存するとの点の立証は、未だ尽くされていないものというべく、従つて、その余の点について判断するまでもなく、原告らは、高天の死亡により生じた損害(弁護士費用を含む。)を被告らに対し請求することができないとの結論に達せざるを得ない。

四  結論

よつて、原告らの被告らに対する本訴請求はすべて理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 鈴木弘 畑中英明 松本克己)

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